ゲーリー・モナハン Garry Monahan ~#1~

ブログ存続のための寄付を募集しております

Garry Monahan ( ゲーリー・モナハン )
(1946-)
Hockey player
Position:Winger
Shot:Left
Height:183cm Weight:90kg

Stuts

ドラフトというのは今ではそれ自体が興行として成立するほどの大イベントになっているが、最初からそういうわけではなかった。

概ね60年代まではごく内輪でひっそりと行われ、ろくにスカウティングもせずに前評判だけで選手を指名することもしばしばという大雑把なもので、とりわけマイナーリーグの組織されているNHLのそれは地味であったという。

1963年、NHLのドラフトが初めて開催され、モントリオール・カナディアンズが記念すべき全体1位指名選手としてゲーリー・モナハンを指名した。

モナハン家に電話が行ったが、ゲーリーやその家族は戸惑った。ドラフトの意味を知らなかったうえ、16歳のゲーリーよりも兄のパットの方が良い選手だと思っていたからだ。なにしろゲーリーはジュニアチームではサードラインでプレーしていたというからいい加減な話だ。

そんなわけで当初はマイナーでのプレーが続いたが、スカウトの目も節穴ではなかったらしく、徐々に頭角を現していき、1967-1968シーズンにようやくデビュー。教師だった妻のバーバラの年収が4000ドルだったところへ8000ドルの契約金と1万ドルの年俸を獲得。思いがけない高収入に若夫婦は大いに喜んだのだった。

デビューはしたものの黄金時代を謳歌していたカナディアンズに定着するには至らず、1969-1970シーズン開幕前にデトロイト・レッドウィングスにトレード。更にシーズン途中にロサンゼルス・キングスにトレード。72試合に出場してようやくNHLに定着できたものの、シーズン終了後に今度はトロント・メープルリーフスにトレード。

得点力はさほどではないものの、守備的フォワードとして地味ながらも地位を築き、メープルリーフスでは名脇役として活躍。

1974-1975開幕直後にバンクーバー・カナックスにトレード。カナックスでも相変わらずチームを引き締め、その一方では1976-1977シーズンにはキャリアハイの44ポイントを記録。

1978-1979シースンには金銭トレードでメープルリーフスに出戻ったものの、さしたる活躍はできずにシーズン終了後に退団した。

このまま引退かと思われたのだが、翌シーズンからは日本の西武鉄道アイスホッケー部に加入。野球よりホッケーが好きという堤オーナーの道楽の感も否めなかったが、さすがは長年NHLの第一線に居ただけあり、毎年20試合で30ポイント近くを稼ぐ大活躍を見せ、1980-1981シーズンのリーグ制覇にも大きく貢献。日本のファンに強烈な印象を残し、3年プレーして引退した。

引退後はバンクーバーでラジオの解説者を務める傍らで株や不動産のビジネスを手掛けて成功を収め、現在はそのビジネスからも引退してカナックスOBとして各種イベントに参加しつつ、ゴルフやテニスを楽しむ穏やかな老後を過ごしている。

コメント