ダリル・スーター Darryl Sutter ~Sutter Family No.2~

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Darryl Sutter (ダリル・スーター)
(1958-)
Hockey player
Position:Winger
Shot:Left
Height:180cm Weight:79kg

Relatives:
Brian Sutter (ブライアン・スーター) (兄)
Duane Sutter (デュエイン・スーター) (弟)
Brent Sutter (ブレント・スーター) (弟)
Ron Sutter (ロン・スーター) (弟)
Rich Sutter (リッチ・スーター) (弟)
Brett Sutter (ブレット・スーター) (息子)
Brandon Sutter (ブランドン・スーター) (甥)
Brody Sutter (ブロディ・スーター) (甥)

Stats

スーター兄弟は皆ドラフトで上位指名を受けているが、三男のダリルだけは指名順位が低かった。1978年のなんと11巡目でシカゴ・ブラックホークスに指名されている。これとて兄のブライアンの活躍があっての評価だから、期待の程は知れていたということだ。

1978-1979シーズンは日本に渡り、岩倉組ホッケー部に加入。20試合で41ポイントを記録する大活躍で新人王のタイトルを獲得したのだが、このシーズン限りで岩倉組は休部してしまい、1シーズンで帰国。翌1979-1980シーズンにメジャーデビューした。

下位指名でもそこはスーター兄弟である。1980-1981シーズンには40ゴール、62ポイントの大活躍で華々しく売り出し、新人王のカルダー記念賞の投票で4位に入っている。

以後は兄同様のエリートコースを歩み、1982-1983シーズンからはキャプテンに就任。しかし惜しむらくは怪我が多く、高い得点力を持ちながらフルに出場できるシーズンの無い苦しい状態が続き、1986-1987シーズンをもって28歳の若さで現役を退いた。

通算406試合というのは兄弟で一番少ないが、279ポイントを稼いでいる。怪我さえなければと思わせる数字である。

引退後は指導者の道に進み、マイナーやアシスタントコーチとして修業を重ね、1992-1993シーズンからブラックホークスのHCに就任。いきなり地区優勝を達成する手腕を見せたのだが、3シーズン務めて1994-1995シーズン限りで退任した。

末の息子のクリストファーがダウン症で、HCをしながらの子育てに不安を覚えたのが退任の直接の理由であった。退任後は家族で実家に帰り、父のルイスと長兄のゲイリーが切り盛りする家業の農家を手伝っていたが、子育てがひと段落したこともあり、1997-1998シーズンからサンノゼ・シャークスのHCに招聘され就任した。

シャークスは創設から間もなく、勝ち越しもままならない弱小チームだったが、ダリルの元で徐々に力を付け、1999-2000シーズンにはチーム初の勝ち越しを達成し、2001-2002シーズンには地区優勝。しかしプレーオフではぱっとせず、2002-2003シーズン途中に解任された。

そのまま渡りに船と飛びついたのがカルガリー・フレームズで、シャークス解任から1か月後にHCに就任。シーズン終了後にはなんとGMも兼任することになった。

フレームズは長い間プレーオフに出場できない暗黒時代のさなかにあったが、ダリルはGM兼任という権限を活用してスタッフを兄弟で固め、チーム10年ぶりの勝ち越しを達成してプレーオフに滑り込み、番狂わせに次ぐ番狂わせでファイナルに進出。7戦目でタンパベイ・ライトニングに敗れ去ったものの、フレームズは台風の目となった。

ロックアウトの明けた2005-2006シーズンは地区優勝を果たしたが、GM兼任というのはやはり無理があり、このシーズンを持ってHCを退任し、GM一本でやっていくことにしたのだが、チームは徐々に弱体化。2009-2010シーズンは弟のブレントをHCに据えたものの勝ち越しながらプレーオフ進出を逃し、このシーズンの途中でGMも退任した。

2011-2012シーズン途中にロサンゼルス・キングスのHCに就任。途中就任にも拘らずチームは上向き、チーム創設以来初のスタンレーカップを獲得。これはスーター兄弟として初のHCとしてのカップ獲得でもあった。

更に2013-2014シーズンにもカップを獲得したが、翌シーズンは40勝を挙げながらプレーオフ進出を逃がす屈辱を味わい、2016-2017シーズンをもって退任。再び実家の農家へと戻って行った。

長男のブレットはHC在任中の2005年に6巡目でフレームズに指名されたものの、今のところNHLでは結果を残せずAHLでプレーしている。

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