グラント・フール Grant Fuhr ~Coco~

ブログ存続のための寄付を募集しております

Grant Fuhr (グラント・フール)
(1983-)Hockey player
Position:Goalie
Shot:Right
Height:178cm Weight:83kg

Stuts

黒人のフールがカナダに生まれたのは幸運だった。もしアメリカに生まれていたなら、スケートリンクに立ち入れたかどうかも怪しい。

アメリカに比べればカナダに人種差別は無いに等しく、”Coco”というアメリカでは大問題になるだろうニックネームも特に問題なくフール少年は受け入れ、特に問題なく他の子供たちと混じってホッケーに興じることができた。

黒人特有の瞬発力を武器にめきめきと頭角を現し、1981年に全体8位でエドモントン・オイラーズに入団。ルーキーイヤーからアンディ・モーグとの併用の形で起用され、48試合に出場して28勝5敗、防御率3.31の好成績をマークし、同僚の神様グレツキーに次ぐファン投票2位でオールスターに出場。新人王にあたるカルダー記念賞の投票では3位、最優秀ゴーリーに贈られるヴェジーナトロフィーでは2位という衝撃のデビューを果たした。このシーズン記録した23試合無敗の記録は現在でもNHLレコードである。

翌シーズンは13勝12敗の成績ながら、チームは初のスタンレーカップファイナルに進出。

続く1983-1984シーズンはリーグ最多勝となる30勝をマーク。更にはゴーリーとしてはNHL記録となる14アシストを記録。昨シーズンのプレーオフはムーグが先発だったものの、このシーズン以降はフールが先発の座に座り、悲願のスタンレーカップを獲得。黒人がカップに名前が刻まれるのは史上初の事であった。

続く1984-1985シーズンもカップを制し、オールスターに選出。

1986-1987シーズンにはソ連代表との対抗戦のメンバーにも選ばれ、1987-1988にはカナダカップも獲得。更にはヴェジーナ賞に輝き、MVPにあたるハート記念賞ではマリオ・ルミューに次ぐ2位の票を獲得。この頃には世界一のゴーリーの座を不動のものとした。

特にプレーオフには無類の強さを見せ、オイラーズの4回の優勝に大きく貢献。グレツキーとともにオイラーズ黄金時代の屋台骨としてわが世の春を謳歌していた。

だが、その一方で私生活には影が忍び寄りつつあった。1990-1991シーズン途中にコカインの使用が発覚したのだ。使用期間は実に7年。全盛期はずっとコカイン中毒であった計算になる。

シーズンは出場停止になり、フロリダの更生施設で治療を受けることとなった。翌シーズンには復帰したものの、ファンは厳しく、砂糖の袋をアリーナに持ち込んでフールを罵倒する始末であった。

更には肩の故障も重なって成績も低迷していたことから、シーズン終了後に3対4の大型トレードでトロント・メープルリーフスにトレード。

トロントではオールスターに返り咲いたものの、いずれもリーグワーストの33敗、230失点を喫し、続く1992-1993シーズン途中にバッファロー・セイバーズへトレード。当時のセイバーズはお世辞にも強いとは言えないチームだったが、フールはここで運命的な出会いをする。

セイバーズにはチェコからやってきて間もないドミニク・ハシェックが居た。フールはハシェックにNHLでやっていく術を仕込み、またチームに勝利への意識を仕込んだ。

これが見事にはまり、1993-1994シーズンはゴルフクラブへの入会を断られたことが差別だと主張してひと騒動おこしたものの、併用態勢でセイバーズのゴールを守り、最少失点ゴーリーに贈られるウィリアム・M・ジェニングス賞をハシェックとダブル受賞。

翌シーズン途中にロサンゼルス・キングスに移籍し、グレツキーと久々に再会。

続く1995-1996シーズンはセントルイス・ブルースへ移籍し、30勝28敗、防御率2.87の成績で5年ぶりにオールスターに選出。

翌シーズンまでは正ゴーリーの座を守ったものの、その後は衰えが続き、1990-2000シーズンにはカルガリー・フレームスへ移籍。当地で400勝を記録したのを花道に現役を記録した。

通算403勝295敗。グレツキーはフールこそ史上最高のゴーリーと言ってはばからない。

引退後はフェニックス・コヨーテズのコーチを経て古巣フレームスのコーチに就任し、現在に至るまで務めている。

2003年には殿堂入り。これもまた黒人選手として初の快挙である。

コメント