ジョン・ルクレール John LeClair ~Link of dreams~

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John LeClair (ジョン・ルクレール)
(1969-)
Hockey player
Position:Winger
Shot:Left
Height:190cm Weight:105kg
Stats

カナダ国境にほど近いバーモントの田舎町で5人兄弟の4人目3に生まれたルクレールがホッケーをやりたいと言い出したのは6歳の時だったが、ルクレールの父親は困った。何しろ田舎のことで、近所にホッケーをやれる施設はなかったからだ。

結局父親の友人が協力を申し出て、裏庭のバレーコートに水を張ってリンクを作り、ルクレール兄弟と近所の子どもたちを集めてささやかなホッケーチームが作られた。

あるいはルクレールは畑の中でスタンレー卿にでもそそのかされたのかもしれない。だが、ボビー・ハルがリンクに突然現れるようなことはなく、ルクレール自身が大選手へと成長していった。

手作りのリンクで腕を磨くルクレールだったが、地元のハイスクールにはチームがなかったので、ルクレール自ら音頭を取ってチームを造ることから始めた。もちろん強いわけがなく、選手交代のたびにルクレールにパックを渡し、コーナーでしのいでいる間に交代を済ませるような有様であった。

だが、ルクレールはそんな環境下でもメキメキと成長し、ニューイングランドで一番の選手と呼ばれるようになった。1987には全体33位でモントリオール・カナディアンズに指名されたが、ルクレールはチーム入りを保留し、バーモント大学へと進んだ。

大学では怪我で欠場がちであったものの、最終学年の1990−1991シーズンには33試合で45ポイントを荒稼ぎする活躍を見せ、カレッジのシーズンが終了した直後にそのままカナディアンズでデビューし、10試合で7ポイントを獲得した。

以来巨体を活かしたパワフルなプレーで頭角を現し、1992−1993シーズンからフルに出場を始め、44ポイントを記録。チームはファイナルに進出し、グレツキー擁するロサンゼルス・キングスを相手に見事優勝を達成。ルクレールは第3戦と第4戦にオーバータイムに結晶ゴールを決める活躍を見せた。

だが、カナディアンズはこの直後から戦力が低下し始め、チーム再建に苦しむようになる。ルクレールはその煽りを食らい、1994−1995シーズン途中に指名券との好感でフィラデルフィア・フライヤーズに放出された。

だが、これはルクレールにとって幸いであった。同じく巨体を売りとするエリック・リンドロス、ミカエル・レンバークと強力ラインを結成。”Legion of Doom”(地獄の軍団)と恐れられた三人組はNHLにセンセーションを起こし、ルクレールも移籍翌年にオールスター初選出を果たした。

オールスターにはその後5年連続で選出。更に1995−1996シーズンから3年連続で50ゴールを達成するアメリカ人選手としては初の快挙を達成。長野とソルトレークのオリンピックにも代表として出場するなど、アメリカを代表する選手となった。

しかし、そのあまりにタフなプレースタイルは身体に大きな負担をかけ、2000−2001シーズンの大半を故障で棒に振ったのを最後にだんだんと怪我に悩まされるようになっていく。

全盛期ほどの爆発力もなくなり、ロックアウト明けにサラリーキャップが導入されるとチームにも抱えておく余裕がなくなってしまい、2005−2006シーズンからはピッツバーグ・ペンギンズに移籍。しかし往時ほどの力は戻ってこず、結局2006−2007シーズンを持って現役を引退した。

手作りのリンクで育ち、名実ともにアメリカきってのホッケー選手となったルクレール。2014年にはフライヤーズの殿堂入りを果たしている。

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