マーク・ハウ Mark Howe ~華麗なる一族~

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Mark Howe (マーク・ハウ)
(1955-)
Hockey player
Position:Winger/Defense Man
Shot:Left
Height:180cm Weight:83kg
Relatives:
Gordie Howe (ゴーディ・ハウ)(父)
Marty Howe ( マーティ・ハウ )(兄)
Vic Howe ( ヴィック・ハウ )(おじ)

Stats

父親は言わずと知れた”ミスター・ホッケー”ゴーディ・ハウ、兄のマーティーやおじのヴィックもNHLプレイヤーというホッケー一族に生まれたマークは当然のようにホッケー選手を志した。

17歳の若さにして大学生に混じってアメリカ代表に抜擢され、札幌五輪で銀メダルを獲得し、将来を嘱望される存在であったが、NHLには進まず、1973年に父ゴーディと兄マーティと三人そろって新興リーグであるWHAのヒューストン・アエロズと契約した。

ゴーディは現役を退いて長年プレーしたデトロイト・レッドウィングスのフロントに入っていたが、お飾り扱いで閑職に押し込められたことに不満を覚え、WHAで現役復帰を決意したのだった。

親子三人は人気実力ともにWHAの目玉と言うべき存在で、ゴーディは46歳にしてMVPを、マーティーはオールスターに選出。マークは兄以上の非凡なセンスを見せて新人王を獲得し、チームは2連覇を果たしている。マークのパスセンスとスケーティングスピードはWHAでも図抜けていた。

NHLとしても看過しておけず、1974年のドラフトでマークはボストン・ブルーインズから2巡目指名を受けている。兄のマーティー他合わせて3人の選手がこのドラフトでWHAから指名されているが、3人は結局指名を断っている。

1977-1978シーズンには三人揃ってニューイングランド・ホエーラーズに移籍。しかしWHAの経営は上手く行かず、翌シーズン終了後にWHAとNHLは合併し、ホエーラーズはハートフォード・ホエーラーズとして再出発することになった。

ゴーディは50代のNHLプレイヤーという勲章を得たものの寄る年波に勝てずこのシーズンで引退。マーティーもNHLではぱっとせずマイナー暮らしが長くなっていく。しかしマークだけは違った。RWからDFにコンバートされて輝きを増し、19ゴール、65ポイントを稼いでオールスターに選出されている。

しかし、翌シーズンの12月27日に悲劇が起きる。マークはゴールネットの金具に接触し、腹部を5インチも切り裂かれるという恐ろしい事故に遭遇したのだ。傷は腸にまで達し、NHLはこの事故を受けてゴールの設計を変更したほどだった。以降マークはパフォーマンスを落とし、故障に苦しめられるようになる。

しかもホエーラーズはどうしようもなく弱く、事故の際のチームの対応にも不満を持ったマークはチームと確執を作り、結局1981-1982シーズン終了後にフィラデルフィア・フライヤーズにトレードで移籍した。

フライヤーズはホエーラーズとは比べ物にならないほど強かった。堅牢で知られたディフェンス陣はマークの加入でますます厚みを増し、その後ろはGKペレ・リンドベルグががっちりと固めていた。

痛ましい怪我の後遺症は如何ともしがたかったが、周りにも助けられて昨シーズン8ゴールに終わったマークは20ゴールをマークし、ファン投票1位でオールスターに選出された。

以後はNHLきってのディフェンスマンの座を不動のものにし、1984-1985シーズンにはフライヤーズはスタンレーカップファイナルに進出。しかしここはホッケーの神様、グレツキーを擁するエドモントン・オイラーズに敗れている。

オフにはリンドベルグが交通事故で亡くなる悲劇に見舞われたものの、弔い合戦とばかり続く1985-1986シーズンには82ポイントを記録し、±統計は驚異の+87をマーク。±省のタイトルを獲得するとともに、オースターで2度目のファン投票1位に輝いている。

マークに引っ張られるようにしてフライヤーズディフェンスはますます力を付け、1986-1987シーズンは3度目のファン投票1位を達成するとともに、3年ぶりのファイナルに進出。再度オイラーズと会いまみえたが、7戦目で敗れついにマークはカップを手にすることができなかった。

これが結局マークの最後の輝きになってしまった。その後は膝と背中の故障を悪化させ、休場が大幅に増加。チームの核でもあったマークの不在はチーム成績にもろに跳ね返り、フライヤーズは低迷を始めた。

もはやシーズンを通しての出場は不可能となったマークは1991-1922シーズン終了後にFAとなり、父の古巣であるレッドウィングスへと移籍。偉大なるゴーディの息子はデトロイトで歓迎され、ニクラス・リンドストロムら若手選手の手本としても大いに貢献した。

移籍初年度には一定の出場機会を得たものの、結局故障には勝つことができず、1994-1995シーズンに3度目のファイナル進出。ニュージャージー・デビルズの前にスイープで敗れ、これをもって現役を引退した。しかし、通算28ショートハンドゴールはディフェンスマンとして史上最多記録となっている。

引退後はレッドウィングスのコーチやスカウトを歴任。自宅のあるフィラデルフィアを拠点としており、背番号”2″がフライヤーズの永久欠番となるなど、フィラデルフィアでも人気を保っている。

引退後に裏方としてカップに名を刻まれる栄誉を得るほか、2012年にはホッケーの殿堂入り。父のゴーディも当然殿堂入りを果たしており、ブレッドとボビーのハル父子に次ぐ2組目の親子殿堂入りの快挙となった。

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