マッツ・サンディン Mats Sundin ~Captain Sweden~

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Mats Sundin (マッツ・サンディン)
(1971-)
Hockey player
Position:Center
Shot:Right
Height:196cm Weight:104kg

Stuts

スポーツチームのキャプテンの中でもアイスホッケーのキャプテンは特別な存在である。多くのスポーツでキャプテンは特別な権限を持たない名誉職だが、アイスホッケーにおいて審判に抗議することが出来るのはキャプテンだけと定められているからだ。

それ故外国人選手がキャプテンに就任することはめったにない。まして十年以上も務めたマッツ・サンディンは例外中の例外と言ってよい。

スウェーデンで生まれ、当地の2部リーグで大活躍を見せたサンディンは、1989年に全体1位でケベック・ノルディクスに指名された。ヨーロッパ人が全体1位で指名されるのは史上初の事であった。

指名後もしばらくスウェーデンに居残り、1990-1991シーズンにNHLデビュー。ジョー・サキックに次ぐチーム2位の59ポイントをマークし、新人王にあたるカルダートロフィーの投票で7位。

続く1991-1992シーズンは76ポイント、更に1992-1993シーズンはキャリア敗となる114ポイントの大暴れ。しかし1993-1994シーズンは故障に苦しみ、シーズン終了後にトレードでトロント・メープルリーフスに移籍。

移籍初年度はロックアウトで短縮シーズンとなり、スウェーデンでプレー。当地では国民的英雄であり、大歓迎を受けた。更にメープルリーフスでもチーム最多の47ポイントを記録。

活躍もさることながら人格に優れ、類稀なリーダーシップを発揮して1995-1996シーズンにはキャプテンに就任。ヨーロッパ人がメープルリーフスのキャプテンになるのは史上初の事であった。

1996-1997シーズンにはオールスターに初選出。以後8回の選出を数え、その一方で毎年チーム最多ポイントを記録し続けたが、2002-2003シーズンは72ポイントを稼いだものの、奇しくも同じヨーロッパ出身のアレクサンダー・モギルニーが79ポイントの活躍を見せ、8年間守り続けたチーム最多ポイントの座を明け渡した。

しかし翌シーズンからは再びトップに返り咲き、リンク内外でチームの中心として活躍を続けていたのだが、2003-2004シーズンは思いがけない事件に遭遇することとなった。

2004年1月8日、ナッシュビル・プレデターズ戦で事件が起きた。シュートを試みてスティックを折ってしまったサンディンは、手元に残った柄の部分を投げ捨てた。これがグラスボードを越えてスタンドに入ってしまったのだ。

幸い怪我人は無く、スティックを拾ったファンは大喜びだったのだが、やはり危険であり潔くないということで物議を呼び、サンディンは1試合出場停止となった。後にサンディンはスティックを拾ったファンの元を訪れて謝罪し、サイン入りの新品のスティックを贈ったという。ファンにとっては思いがけないお年玉であったことだろう。

2004-2005シーズンはロックアウトでシーズン全休となり、スウェーデンでのプレーするのではないかと期待されたが、シーズンを丸ごと休養にあててスウェーデン中を落胆させた。

だが国際試合ではスウェーデン代表のキャプテンとして活躍し、世界選手権では金2つを含む7つのメダルを獲得。オリンピックでは長野、ソルトレイクとメダルを逃していたが、2006年のトリノで悲願の金メダルを獲得。これを花道に代表を去った。

しかし、華々しい活躍の一方でチームは今一つ勝ちきれず、プレーオフでは毎年苦戦。2005-2006シーズンはパックを顔で受けて骨折し、1ヶ月休場を強いられる不運もあり、チームは実に7年ぶりにプレーオフを逃してしまった。

翌シーズンもプレーオフを逃し、チームは若返りを敢行。続く2007-2008シーズンで契約の切れるサンディンを放出する決断を下したが、チームを愛していたサンディンはこれに抗議。スタンレーカップを獲得したら残留という約束を取り付けたものの、チームは3年連続でプレーオフを逃す屈辱を味わい、サンディンは11年の長きに渡ってキャプテンを務めてきたメープルリーフスを去ることとなった。

サンディンを巡って3チームによる争奪戦となり、2年2000万ドルというNHL史上最大の大型契約を提示したバンクーバー・カナックスが勝利した。バンクーバー財界がサンディン獲得の為にスウェーデンの企業と積極的に取引をしたというのだから、想像を絶する経済効果だ。

だが、サンディンはふたを開けてみれば単年860万ドルで契約を結んだ。サラリーキャップを空けるために140万ドルを負けたのだ。サンディンはチームのためならと喜んでこの提案を受けたという。そういう男なのだ。

だが、37歳の高齢は如何ともしがたく、セカンドラインでプレーして41試合の出場にとどまり、常に試合数と同程度は稼いできたポイントは僅かに28ポイントに終わった。

それでもサンディンは新天地で久しぶりのプレーオフに進出し、8試合で8ポイントをマークして面目を施したが、スタンレーカップには手が届かなかった。

同年限りで現役引退。ゴール、ポイントはいずれもスウェーデン人とメープルリーフスの最多記録であり、11年キャプテンを務めたのは北米以外の出身者としては最長記録である。

2012年には早々とホッケーの殿堂入り。奇しくもルーキーイヤーにチーム最多ポイントを争ったサキックと同時であった。

2015年にはメープルリーフスのホームのエアカナダセンターに銅像が作られ、翌年には背番号13が永久欠番に。現在は趣味の競馬やポーカーを楽しみながら悠々自適の暮らしをしている。

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