マックス・ベントレー Max Bentley ~男はハート~

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Max Bentley (マックス・ベントレー)
(1920-1984)
Hockey player
Position:Winger
Shot:Left
Height:178cm Weight:70kg

Stats
Doug Bentley (ダグ・ベントレー)(弟)

 サスカチェワンの名士の家に生まれ、他の兄弟同様家業を手伝いながら夏は野球、冬はホッケーとセミプロでプレーしながら暮らしていたマックスだったが、兄のダグが野心を持ってNHLの舞台に立つ試みをしたことに触発されて自らもこれに続いた。

 最初はボストン・ブルーインズのテストを受けたが、他の兄弟同様あまりに小柄だったため断られた。それでも諦めずにモントリオール・カナディアンズのテストを受けると、今度はメディカルチェックで心臓病が発見された。

 このままホッケーを続ければ1年と持たずに死ぬというのが医者の見立てであった。しかし、マックスは大量の薬を飲みながらマイナーでプレーする道を選んだ。ついたあだ名は”歩くドラッグストア”であったという。

 1940-1941シーズンにシカゴ・ブラックホークスと契約。兄ダグとチームメイトになり、36試合で17ポイントを稼いで売り出した。

 178センチ70キロの小兵に心臓病とあって、ラフプレーを食らえばたちまち駄目になるのは周囲も自身も分かっていた。しかし、マックスにはラフプレーを食らわずリンクを疾走し、兄のダグさえ付いていけなくなるほどの得点力があった。そして時々心臓が悪いふりをするという裏技も持っていた。

 1942-1943シーズンには47試合で驚異の70ポイントを獲得。その一方でペナルティはわずか2分というフェアなプレーを買われ、レディー・ビング記念賞を受賞した。

 このシーズン、1月23日のニューヨーク・レンジャーズ戦で1ピリオド4ゴール、1試合7ポイントのNHLタイ記録を樹立。更に長兄のレグをチームに加入させ、史上初の三兄弟ラインを結成するニュースもあったが、おりしも世界大戦の真っ最中で、マックスは軍に入隊してNHLでのキャリアを中断させた。

 軍のチームでプレーしながら終戦を待ち、1945-1946シーズンからブラックホークスに復帰。ダグ、マックス、ビル・モシエンコの小兵三人で”Pony Line”を結成し、大男のぶつかり合いというホッケーの従来の在り方を変えるほど得点を稼ぎまくった。

 61ポイントを稼いで得点王に輝き、MVPにあたるハート記念賞を受賞。オールNHLにも初選出される最高のシーズンとなった。

 翌シーズンも稼ぎに稼ぎ、モーリス・リシャールと得点王のタイトルを巡ってデッドヒートを展開。最終戦でついに1ポイントのリードを奪い、チャーリー・コナチャー、スウィーニー・シュリナーに次いで史上3人目となる2年連続得点王の快挙を達成した。

 しかし、ベントレー兄弟の大活躍があって尚ブラックホークスは弱く、策に窮したフロントは翌シーズン開幕直後、マックスは2対5の超大型トレードでトロント。メープルリーフにトレードされた。

 NHLが6チームしかなかった当時、こんな大型トレードは前例がなく、スケールが大きすぎてどちらが得をしたのか誰も判断できず界隈は大騒ぎとなった。

 マックスもダグと別れてプレーすることに抵抗を覚え、両者引退を考えたが思いとどまり、3年連続の得点王は逃したもののスタンレーカップ獲得に大きく貢献。マックスはカップを手に「これを待ってた!」と大喜びであった。

 以来3回に渡ってカップに名を刻む栄誉にあずかり、1952-1953シーズンには500ポイントの金字塔を達成。しかし、怪我もあって徐々に衰え、マックスは最後はまた兄弟一緒にとトレードを志願し、ダグの居るニューヨーク・レンジャーズに移籍した。

 シーズン終了後に再びメープルリーフスへの復帰話が持ち上がったが、マックスは引退して地元のマイナーチームでコーチとなったダグに付き従い、自らマイナーへと下った。

 リシャールに次ぐ当時歴代2位の245ゴールを誇るマックスの加入に、片田舎のサスカチェワン・クエーカーズは大盛り上がりとなり、兄を助けて満足したマックスは1958-1959シーズンを持って現役を引退した。

 引退後は兄同様マイナーのコーチやリーグの運営に携わり、その一方で家業を継承して大農園を切り盛りする第二の人生を送った。ダグに2年遅れて1966年には殿堂入りし、1984年に穏やかに世を去った。

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