Mike Ramsey (マイク・ラムジー)
(1960-)
Hockey player
Position:Defenseman
Shot:Left
Height:190cm Weight:88kg
Stats
ホッケーはアメリカの4大スポーツであり、NHLのチームの過半数はアメリカに本拠地を置いてはいるが、アメリカでの人気は地域差はあるが概ねサッカー以上NASCAR未満という所である。やはりホッケーは本質的にカナダの物なのだ。それ故NHLにアメリカ人選手は意外に少ない。
ミネソタ生まれのラムジーは当地でホッケー選手として頭角を現し、ミネソタ大学に進学。20歳の若さにしてレークプラシッド五輪の代表メンバーに選ばれた。まだプロ選手の出場が解禁される前の事で、ハーブ・ブルックスHC以下、メンバーの半数は黄金時代を謳歌していた同大から選ばれた。
だが、大会の中心と目されていたのは所謂ステートアマが中核となっている東側のチームで、アメリカ代表は西側のチームの中でも格下と見られていた。
ところが蓋を開けてみるとアメリカ代表はチームワークを武器に粘り強く勝ち進んで決勝ラウンドに駒を進め、過去7大会中6大会で金メダルという絶対王者、ソ連との対戦に臨んだ。
日頃国際試合に無関心なアメリカ人もこの一戦には熱狂し、シーソーゲームの末に4-3でアメリカが勝利。アメリカ代表は余勢を駆って残り試合も勝ち進み、見事金メダルを獲得し、20世紀スポーツ史上最大の大番狂わせと名高い”氷上の奇跡”が完成した。
代表メンバーの多くはNHL入りを果たした。前年に全体11位でバッファロー・セイバーズに指名されていたラムジーも大会直後に19歳にしてNHLデビューを果たし、同シーズン13試合に出場。
カレッジでは攻撃的ディフェンスマンとして鳴らしたラムジーだったが、プロ入り後は本分であるディフェンスに磨きをかけ、セイバーズディフェンスの中心選手として成長していくことになる。
金メダルというこれ以上ない勲章もさることながら、その堅い守備でファンから信頼を獲得し、1982年を皮切りに4回のオールスターに選出。更にはチームキャプテンも務めている。
その後、セイバーズのHCを長く務めたスコッティ・ボウマンが1991-1992シーズンからピッツバーグ・ペンギンズのHCに就任し、ラムジーも1992-1993シーズン途中に乞われる形でトレードで移籍。
更にシーズン終了後にボウマンがデトロイト・レッドウィングスのHCに就任するとラムジーもこれにつき従って移籍。オリンピックでソ連代表として対戦したヴャチェスラフ・フェティソフとチームメイトになった。
同年チームはスタンレーカップファイナルに進出したが、アメリカ代表のチームメイトだったニール・ボーテンを擁するニュージャージー・デビルズの前に屈辱のスイープ。
雪辱に燃える翌シーズンのウィングスはNHL記録となるシーズン62勝を挙げる好調ぶりであったが、スタンレーカップ獲得には至らず、翌1996-1997シーズンに2試合プレーしたのちラムジーは引退した。
引退後はセイバーズやミネソタ・ワイルドのコーチを務めたほか、故郷のミネアポリスで”ゴールドメダルスポーツ”というスポーツ用品店を経営。2014年には息子のジャックが7巡目ながらもシカゴ・ブラックホークスに指名され、更に2016年にはアメリカホッケーの殿堂入りを果たしている。
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