パット・バーンズ Pat Burns ~燃える男~

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Pat Burns (パット・バーンズ )
(1952-2010)
Hockey player
Position:Coach
Relatives:
Robin Burns (ロビン・バーンズ)(いとこ)

Stats

パットはカナダの少年の多くがそうであるようにホッケー少年であった。NHLプレイヤーになり、スタンレーカップを手にすることを夢見ていたが、そのために必要な素質が自分にない事を気づき、溶接工になった。ちなみにいとこのロビンはNHLプレイヤーになっている。

その後に歳を誤魔化して警察官になり、マイナーチームのスカウトをしながら長年勤めていたのだが、やがてこのチームから誘われてバーンズは32歳にして心機一転、コーチとしてのキャリアをスタートさせた。

バーンズには選手の素質はなかったがコーチの素質は大いにあり、ここで成功を収めた。当時の教え子には後に殿堂入りを果たすルク・ロビテイルがいる。

徐々にステップアップしてチームを変わり、1988-1989シーズンからとうとうモントリオール・カナディアンズのHCに上り詰めた。

当時のカナディアンズは40勝前後で推移チームだったが、バーンズはいきなり53勝という好成績を打ち立ててチームは3年ぶりのファイナル進出を達成。ファイナルはカルガリー・フレームズに敗れたものの、バーンズの手腕は高く評価されて最優秀コーチに贈られるジャック・アダムス賞を受賞した。

その後も安定した成績を維持し続けたが、徐々にフロントと確執を作るようになり、1991-1992シーズン終了後に解任され、今度はトロント・メープルリーフスのコーチに就任した。ロサンゼルス・キングスからもオファーが来ていたが、メープルリーフスの”ブランド”が決め手になった。

メープルリーフスは2年続けてプレーオフ進出を逃すなどそのブランドの割に当時低迷していたが、バーンズの手腕の元チームは再建され、プレーオフに返り咲いてカンファレンスファイナルまで進出。バーンズは2度目のアダムス賞を獲得した。

メープルリーフスは強豪の地位を取り戻したかに思われたのだが、1995-1996シーズンは負け越しの苦しいシーズンとなり、バーンズはシーズン終了を待たずに解任されてしまった。

1年の充電期間を経て1997-1998シーズンからはボストン・ブルーインズのHCに。前年26勝と言う悲惨なシーズンを送ったチームを39勝まで持ち直し、史上唯一となる3度目のアダムス賞を獲得する快挙を達成した。

2000-2001シーズン開幕直後に解任され、2002-2003シーズンからはニュージャージー・デビルズのHCに就任。今までの名門から新興チームに移って風向きが変わり、就任初年についに悲願のスタンレーカップを獲得。バーンズはコーチとして夢を叶えた。

しかし、その一方で病魔がバーンズを蝕んでいた。2004年に直腸がん、更に翌年は肺がんに侵され、2003-2004シーズンを持ってHCを勇退。その後も特命コーチとしてチームに籍を置きつつ療養に勤めていたが、2010年にはとうとうガンは手に負えないところまで大きくなり、延命治療をバーンズは放棄した。

これにファンが立ち上がり、バーンズが生きているうちに殿堂入りさせようとキャンペーンを展開したが、結局叶うことはなく2010年11月19日にバーンズは58歳で世を去った。しかしNHL史上指折りの名将としての実績は認められ、2014年に念願の殿堂入りを果たしている。

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