タイ・ドミ Tie Domi ~Albanian assassin~

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Tie Domi ( タイ・ドミ )
(1969-)
Hockey player
Position:Winger
Shot:Right
Height:170cm Weight:80kg

Relatives:
Max Domi(マックス・ドミ)(息子)
Stuts

北米のアイスホッケーでは乱闘が一つの戦略として黙認されている。ラフプレーの報復に、あるいは景気付けにと闘うのだ。

闘いに際しておもむろにスティックを投げ捨て、グローブを脱ぎ、必ず一対一で殴り合う。武器の使用や第三者の加勢はご法度だ。そして思う様殴り合い、大勢が決まったところで審判がようやく止めに入り、闘った二人はペナルティボックスで5分間を過ごす。さながらジョン・ウェインの西部劇だ。

乱闘要員の選手はエンフォーサー(用心棒)と呼ばれる。勿論ほとんど得点は稼がない。食らったペナルティの多寡で評価される喧嘩のプロだ。

アルバニア人の両親の間に生まれ、1988年に全体27位でトロント・メープルリーフスに指名されたタイ・ドミはジュニア時代からその凶暴さで恐れられていた。

だが当初は出場機会に恵まれず、1989-1990シーズンにデビューしたものの2試合しか出場はかなわず、シーズン終了後にニューヨーク・レンジャースにトレード。ここで派手に乱闘をかまして大いにアピールしたもののシーズン通しての出場は出来ず、1992-1993シーズン途中に今度はウィニペグ・ジェッツにトレード。

ジェッツで必殺の左ストレートを武器にエンフォーサーとして確固たる地位を確立し、1993-1994シーズンにはリーグトップのペナルティ347分を記録。”Albanian assasin”(アルバニアの殺し屋)の勇名はNHLに轟いた。

1994-1995シーズン途中にトレードでリーフスに復帰。以後リーフスに腰を落ち着け、思う存分に暴れ狂うのだった。

移籍早々に古巣レンジャースとの試合で事件が起きた。相手DFのウルフ・サミュエルソンのトラッシュトークに怒ったドミは、突然自慢の左をサミュエルソンにブチ込んでKOしたのだ。不意打ちは乱闘の道に反するご法度であり、ドミは即刻退場の上で8試合の出場停止になった。

1997-1998シーズンにはキャリアハイのペナルティ365分を獲得。往年の乱闘王、タイガー・ウィリアムスが打ち立てたフランチャイズレコードを20年ぶりに塗り替えた。

2000-2001シーズンにはついに観客に手を出した。フィラデルフィア・フライヤーズとのアウェーの試合でペナルティボックスに入った際、フライヤーズファンのヤジに怒ったドミは水筒の水をスタンドにぶちまけ、これに怒ったファンがグラスボードを壊してボックスに乱入。ドミは容赦なくこのファンを殴りつけた。出場停止にはならなかったが、限度額いっぱいの1000ドルの罰金を科された。

さらに同年のプレーオフではニュージャージー・デビルズのスコット・ニーダーマイヤーを真正面からのエルボーでKO。プレーオフの以後の試合を出場停止になった。

178センチしかない小男のドミが一回り大きい相手を殴り倒す瞬間はマッツ・サンディンのゴールよりもアリーナが沸き立ったが、あまりの荒くれぶりにチームも扱いに手を焼くようになり、2001-2002シーズン終了後にナッシュビル・プレデターズにトレードされたものの、FAを行使してすぐにリーフスに復帰。

その後もチームの先頭に立って戦い続けたもの、徐々に負けが込むようになり、チームとの揉め事もあって2005-2006シーズンに契約を1年残してバイアウト。他のチームからのオファーもあったものの、揉めてはいてもチームを愛していたドミは、「青と白以外のジャージを切るなんて考えられない」と言って固辞。リーフスで引退する道を選んだ。

「俺はトロントが好きだ。だって、ここは俺の家だから」引退セレモニーで涙ながらにそう言い残し、ドミはリンクを去って行った。通算ペナルティ3515分は歴代3位の大記録である。

引退後は解説者を経て通信会社の顧問に就任。2013年には息子のマックスが全体12位でフェニックス・コヨーテズに指名され、代表入りを果たすなど現在に至るまで活躍している。

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